2020年07月16日
「能見~頑張れ!!」は「奇声」ではない!
新型コロナ禍の下ので有観客試合が始まっている。
ここで、聞き(読み)捨てならないスポーツ新聞記事が散見。
例えばこれだ。
「奇声で球審が試合を中断」という記事。
中継ぎに登場した阪神能見投手がボール先行の投球
になったところで、観客から大声で「能見、頑張れ!」と
声援(他のスポーツ紙には声援の内容が正しく
書かれていた)がとんだ。球審は「声を張り上げての応援は
お止めください」のアナウンスを球場に要請したという。
1.大声での声援は新型コロナ禍では観戦マナーに
反しているから、球審の対応は正しい。球審は「大声での
応援はアカン」と言っているだけ。
2.問題は、記事を書いた記者にある。「能見頑張れ!」
は断じて「奇声」ではない。意味明確なファンの声援なのだ。
「奇声」とは意味不明の発声。「奇声」と表現して、あたかも
試合を妨害する行為のように描くこの記者の悪意を感じる。
(「奇声」というと何か差別的表現だと私は思う。なぜなら
思いを言葉で伝える術を持っていない人はとっさの時に「奇声」を
発することがあるから。しかし、その「奇声」の理由は必ず
あるのだ。健常者が気付かないだけ)
3.この記事には「『能見~!』といった声以外に奇声を発する
ファンもおり、その度に球場が笑い声に包まれるシーンもあった」と何か
問題が起きているような記述もある。野球は「間のスポーツ」だから
プレイ中はダメだが、投球練習やマウンドで投手がロージンを
使っているなどのプレイ中以外に声を出して何が悪いのか!
4.この記事を読んだ人がありきたりなコメントを得意げに
書き込んでいるのも不愉快きわまりない。例えばこんなコメント。
「あまりに改善されないようであれば、常に警備員とかを
客席の周りに配置して、ヤジや奇声等をあげた人をつかまえて
罰金等の処分を下す」と。
これは「自粛ポリス」「ヤジポリス」だよ。自分だけが正しいと
思い込み、それ以外を許さない自己中心主義。
野球観戦の楽しみ方は色々あるのだ。強制してほしくない!
もっと酷いコメントに「サッカーでは差別発言したら即退場、出禁に
なるでしょう。同じです」があった。「能見頑張れ」を「差別発言」と
同一視してる勘違いコメントだ。
5.そもそも、今の若い選手も観客も若い新聞記者も「チャンステーマや応援歌を流し、
メガホンを叩き、場合によればダンスやスクワットして応援する」球団仕込み
(球団・応援団お仕着せ)のスタイルしか知らないから、筋の外れたヨタ記事が横行する。
私に言わせれば、真剣勝負の局面でトランペットや太鼓や
歌のせいで、バットが球にあたる音、ミットに入る音、空振りするバットが空気を切り裂く音など
聞こえなくされ、野球の醍醐味が奪われているのだ。
逆に、プレーの合間のヤジや声援は野球観戦の「調味料」なのだ。
5.新型コロナ禍では確かに大声の声援は慎むべきと思う。しかし、
それを「奇声」だとして「邪魔もの」扱いする
「自粛警察」まがいの報道は許せない。
Posted by 鷹ぬ鳥 at 07:33│Comments(0)
│ホークス
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。