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2011年09月23日

なぜ脱原発か?原発の功罪について考える

 これまで原発について発言してきた。
その責任を果たす意味で原発の「功罪」を私なりにまとめてみたい。

まず、<功>は電気をおこすことができること。これしか
思いつかない。核分裂反応で発生した熱で水を沸騰させて
タービンを回すことは、火力発電と基本は同じ。

<罪>は色々ある。

(1)フクシマでおきたような大惨事が起きる可能性が
 ある。核被曝が起きる。一端発生したら取り返しの
 つかないことになる。(もう安全神話は崩壊した)

(2)通常運転でも生まれる大量の放射性廃棄物。
 子々孫々まで何万年も管理しなければならない。

(3)爆発しなくてもいつかは廃炉にしなければならないが、
 それには何十年もかかる。膨大な税金が投入される。
 廃炉コストも電気料金に加算される。
 原発発電コストが原発が最も高いことは今や常識。

(4)炉心冷却に海水を使う。温排水で海の温度が上昇。
 地球温暖化につながる。

(5)原発は「CO2を発生せず」の宣伝も嘘だ。原発を動かしたり、
 止めたり冷やしたりには「外部電源」頼り。CO2発生に手を
 貸している。

(6)原発推進のために電力会社は原発を作れば作るほど電力料金を
 あげることができる。原発のお陰で高い電気料金を払わされる。

(7)原発を稼働すると猛毒のプルトニウムができる。
 このプルトニウムはすぐに原爆に転用できる。自民党の石破議員が
あけすけに語っていた。「将来の抑止力として必要」と。

(8)原発の運転や保守点検には無数の原発労働者の被曝が前提。
 多くの労働者をガン死させている。医療費もかさむ。

 こう考えてみると、たかが電気のために危険な原発を
作らなくても良いのでは?
と誰が考えてみてもわかる。

 しかし、これまでストップできなかったのは、国策としての原発は
一種の公共事業と同じだった。動き出したら止まらない。

原発利権に群がる企業、土建屋、原発産業に天下りする
官僚、電源交付金をもらって生き延びようとする地方自治体。
原発推進で法外な金をゲットし、今尚反省しらしていない「文化人」
やマスコミ、御用学者。何兆もの原発に巣喰うムジナたちがいる。
 この利権構造は「基地」問題と共通している。

 私が一番危惧するのは1と2だ。1はフクシマの現実が物語っている。
2は、核分裂生成物を無害化する技術はないということ。ないから
ドラム缶に入れて、地下に埋設して保管している。
これを何万年、子々孫々に負担させるのか?と考えると暗澹たる気持ちに
なってしまう。

 国民の圧倒的な声でこれらを大掃除するしかない!

 ちなみに9/19中央集会をほんの小さな記事でしか
紹介しなかった「朝日新聞」を今日を以て、私は解約する
ことにした。


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Posted by 鷹ぬ鳥 at 19:22│Comments(0)私の一言
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