2010年01月07日
つぃんだら節考察 補
「つぃんだら節」考察の拙文について、ブログ友達
のいっちーさんから直メールがありました。
困った時にこそ「何事にも先達があらまほしきものなり」
です。ありがとうございます。
つぃんだら節は黒島の唄、久場山越路節は野底の唄と
なっています。もともとは別々の唄である2曲。
つぃんだら節は強制移住の際の唄で詠み人知らず。
久場山越路節は野底の役人、大浜英普が詠み人です。
ちなみに詠まれたのは、つぃんだら節は1732年、
久場山越路節は1836年です。
野底岳の東南方の峠道を「久場山越路」といいます。
「越路」とは険しい山道を指します。
もともと、この久場山越路で添い遂げられない二人が
夜な夜な出会い、岩石を叩きながら愛を語り合っていた
ところ、その岩は窪み、それが「うらみの石壷」と
なった伝説があります(石壷は現存されています)。
そのような男女が添い遂げられない伝説と、マーペーと
カニムイの伝説が混じり、野底の役人により加作された
のが久場山越路節、と解釈していいのではないでしょうか?
のいっちーさんから直メールがありました。
困った時にこそ「何事にも先達があらまほしきものなり」
です。ありがとうございます。
つぃんだら節は黒島の唄、久場山越路節は野底の唄と
なっています。もともとは別々の唄である2曲。
つぃんだら節は強制移住の際の唄で詠み人知らず。
久場山越路節は野底の役人、大浜英普が詠み人です。
ちなみに詠まれたのは、つぃんだら節は1732年、
久場山越路節は1836年です。
野底岳の東南方の峠道を「久場山越路」といいます。
「越路」とは険しい山道を指します。
もともと、この久場山越路で添い遂げられない二人が
夜な夜な出会い、岩石を叩きながら愛を語り合っていた
ところ、その岩は窪み、それが「うらみの石壷」と
なった伝説があります(石壷は現存されています)。
そのような男女が添い遂げられない伝説と、マーペーと
カニムイの伝説が混じり、野底の役人により加作された
のが久場山越路節、と解釈していいのではないでしょうか?
Posted by 鷹ぬ鳥 at 23:47│Comments(0)
│唄三線
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