2019年02月11日
ジュリーの「わが窮状」
毎年8月15日になると、「多くの尊い犠牲の上に今日の平和が云々」と
という発言が歴史修正主義者から必ずといって流れてくる。
私は、これにはずっと「違和感」を持ってきた。
1つの違和感は、日本軍国主義のために2000万の死傷者を出した
特に東アジア(連合国軍も含んでいるが)の人々や日本国民の
「犠牲」がこの「尊い犠牲」には入っていないことだ。専ら日本軍の
兵隊の「犠牲」を想定していることだ。
2つ目は、戦争で犠牲になった日本兵士を「国を護るために自ら
命をかけて死んでいった」と述べて、平和の為に犠牲になることを
更に我々に強いるような論理が内にあることだ。
これを「英霊サイクル」と名付けた人がいる。平和とは「犠牲」が
なくても構築できるはずだ。
犠牲の上に成り立つ平和なんてないはず。
この2つめに関して、戦争反対論者は「兵士達の多くは無駄死だった」
「最初から兵士を死に追いやる無謀な戦いだった」「兵士達は
死にたくなかったのにそれを強いられた」など、それはそれで
正当な論理で事実を挙げて反論してきた。
ただ、これらの「反論」は戦争で子どもや夫をなくした家族には
「心地よい」ものではない。「無駄死だった」と言われると人間の
死に意味を見いだせなくなるから、それだけで反発したくなる。
軍人恩給も国から貰えることもあり「尊い犠牲」の言葉についつい
なびいてしまうのもよくわかる。
この多くの戦死者の「戦死」の意味を止揚する言葉がないのか?
ずっと考えてきた。そして、最近、ジュリーの歌う「わが窮状」の中に
アウフヘーベン(止揚)する言葉を見つけた。
この歌はご存じのように『憲法9条を守ろう』というメッセージソングでもある。
この中の一節に「英霊の涙にかえて 授かった宝だ」というフレーズが
ある。宝は9条を意味している。「英霊」と敢えて表現し、彼らが
決して死を望んでいたのではない(無念)ということを「涙」と
表現している。多くの戦死者の
無念の涙に変えて得た宝が憲法9条(二度と戦争しない、そのために
軍備を持たない、交戦権も認めない)なんだと。
ついでに、「憲法9条で平和が守れるのか?」と改憲論者がよく言う論理に
ついての考察。
反対論者は「非武装中立で国を守る」という。すると
改憲論者は「平和ぼけ、そんな理想は非現実的」」と揶揄する。
憲法9条は「外敵」(その存否は別として)から守る為のものではなく、
時の政府が戦前のように勝手に戦争しないように政府の手足を縛ったもの
なのだ。「敵が攻めてきたらどうする?」と問われれば、それがあるかどうかは
別として「あらゆる手段を使い戦うだけだ」。侵略を恐れているらしい改憲論者
こそ、自衛隊員に任せることなく、生死をかけて先陣を切ってもらおう。
という発言が歴史修正主義者から必ずといって流れてくる。
私は、これにはずっと「違和感」を持ってきた。
1つの違和感は、日本軍国主義のために2000万の死傷者を出した
特に東アジア(連合国軍も含んでいるが)の人々や日本国民の
「犠牲」がこの「尊い犠牲」には入っていないことだ。専ら日本軍の
兵隊の「犠牲」を想定していることだ。
2つ目は、戦争で犠牲になった日本兵士を「国を護るために自ら
命をかけて死んでいった」と述べて、平和の為に犠牲になることを
更に我々に強いるような論理が内にあることだ。
これを「英霊サイクル」と名付けた人がいる。平和とは「犠牲」が
なくても構築できるはずだ。
犠牲の上に成り立つ平和なんてないはず。
この2つめに関して、戦争反対論者は「兵士達の多くは無駄死だった」
「最初から兵士を死に追いやる無謀な戦いだった」「兵士達は
死にたくなかったのにそれを強いられた」など、それはそれで
正当な論理で事実を挙げて反論してきた。
ただ、これらの「反論」は戦争で子どもや夫をなくした家族には
「心地よい」ものではない。「無駄死だった」と言われると人間の
死に意味を見いだせなくなるから、それだけで反発したくなる。
軍人恩給も国から貰えることもあり「尊い犠牲」の言葉についつい
なびいてしまうのもよくわかる。
この多くの戦死者の「戦死」の意味を止揚する言葉がないのか?
ずっと考えてきた。そして、最近、ジュリーの歌う「わが窮状」の中に
アウフヘーベン(止揚)する言葉を見つけた。
この歌はご存じのように『憲法9条を守ろう』というメッセージソングでもある。
この中の一節に「英霊の涙にかえて 授かった宝だ」というフレーズが
ある。宝は9条を意味している。「英霊」と敢えて表現し、彼らが
決して死を望んでいたのではない(無念)ということを「涙」と
表現している。多くの戦死者の
無念の涙に変えて得た宝が憲法9条(二度と戦争しない、そのために
軍備を持たない、交戦権も認めない)なんだと。
ついでに、「憲法9条で平和が守れるのか?」と改憲論者がよく言う論理に
ついての考察。
反対論者は「非武装中立で国を守る」という。すると
改憲論者は「平和ぼけ、そんな理想は非現実的」」と揶揄する。
憲法9条は「外敵」(その存否は別として)から守る為のものではなく、
時の政府が戦前のように勝手に戦争しないように政府の手足を縛ったもの
なのだ。「敵が攻めてきたらどうする?」と問われれば、それがあるかどうかは
別として「あらゆる手段を使い戦うだけだ」。侵略を恐れているらしい改憲論者
こそ、自衛隊員に任せることなく、生死をかけて先陣を切ってもらおう。
Posted by 鷹ぬ鳥 at 22:46│Comments(0)
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