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2021年04月02日

断捨離で見つけた求菩提山登山の写真

 実家の断捨離で高校時代に使っていた机を整理した。
引き出しから高校時代の写真3枚が「出土」した。
白黒でセピア色に変色した写真だ。そこには、変貌する前の
自分や級友達の笑顔が溢れていた。

 その中の1枚がこれだ。

断捨離で見つけた求菩提山登山の写真

 神社の本殿前の集合写真。
写真の裏には「3月18日求菩提山遠足」のメモがある。
求菩提山は、福岡県豊前市にある修験道のメッカであった
山というのは知っている。しかし、登った記憶は全くない。
誰が撮ってくれたのか、想像はできるが定かではない。

 この写真を手がかりに、帰省時に求菩提山に登ることにした。
青春時代の「忘れ物」を取り戻し、「青春のアルバム」に
1つのピースをはめ込もうと思ったのだ。

 地形図を頼りに登山口に入った瞬間に
「こんな道を集団で登るはずない」と悟った。それくらい狭くて
急勾配なのだ。延々と続く杉林を登った。やっと平らなところに
出てたが、目指す神社はまだ先だ。
断捨離で見つけた求菩提山登山の写真

 そして、「国玉神社中宮」に到着。クラス写真は頂上だろうと
勝手に推測して頂上にある「国玉神社上宮」を目指したが、
これまた急勾配の石段の道。でものりかかった船と思い、
遂に上宮に到着。

断捨離で見つけた求菩提山登山の写真

 ここでクラス写真と比較したが、石段の幅が狭いので
明らかに違うし、そもそも中宮から上宮への道は急勾配の
狭い一本道なので多くの生徒が歩くには危険すぎると
思い直した。

断捨離で見つけた求菩提山登山の写真

 そこで、中宮の舞い戻り、クラス写真と比較した。
ここだ!と直感。ここで撮影したんだ。自分の位置は
確認できた。ここに来た記憶が全くなかったが、
高校から出かけた「バスの中の様子」だけは思い出した。
アカペラで歌の交流。歌の上手い女子がいたわと。

 こうして青春時代の「落としていた記憶」を拾い直すことが
できた。

 下山は、広い道を通った。宿坊跡があった場所を通過した。
この道なら集団登山でも問題はない道だ。麓にある資料館で
知ったことだが、江戸時代の最盛期には800人前後の
修験者が生活するコミュニティを作っていたらしい。

 明治維新後の廃仏毀釈で仏像は壊され、修験道も禁止され、
更に、寺を壊して神社をつくる維新政府の暴挙に対して
あらがえず、衰退していった修験道のメッカを後にした。

 そんな歴史も知らず、修験道つぶしの神社の山道で
写真を撮っていたわけだ。




 


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Posted by 鷹ぬ鳥 at 16:25│Comments(0)私と家族
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