› 清ら三線通信Ⅱ › 合掌 登川誠仁さん死去
2013年03月20日
合掌 登川誠仁さん死去
琉球新報に次の記事が出ていた。体調悪く、入院している
との噂は聞いていたが、遂に亡くなられた。合掌
沖縄民謡の唄者として活動した登川誠仁さんが19日午後
11時37分、沖縄市の中部徳洲会病院で肝不全のため死去した。
80歳。兵庫県尼崎市出身。自宅は沖縄市松本2の3の5。告別式は未定。
登川さんは1932年生まれ。5歳から沖縄で育ち、
16歳で沖縄芝居の松劇団で地謡になった。三線の名手として
活躍し「豊節」「デンサー節」などの作詞作曲を多数手掛けた。
工工四に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などを編集。
独自の楽器開発や、沖縄各地に埋もれていた民謡を編曲し、広めた。
「セイグヮー(誠小)」の愛称で親しまれ、1999年公開の
「ナビィの恋」など映画にも出演した。
琉球民謡登川流宗家、県指定無形文化財琉球歌劇保持者。
2011年に第9回宮良長包音楽賞を受賞した。1月下旬から
肝硬変のため入院していた。
との噂は聞いていたが、遂に亡くなられた。合掌
沖縄民謡の唄者として活動した登川誠仁さんが19日午後
11時37分、沖縄市の中部徳洲会病院で肝不全のため死去した。
80歳。兵庫県尼崎市出身。自宅は沖縄市松本2の3の5。告別式は未定。
登川さんは1932年生まれ。5歳から沖縄で育ち、
16歳で沖縄芝居の松劇団で地謡になった。三線の名手として
活躍し「豊節」「デンサー節」などの作詞作曲を多数手掛けた。
工工四に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などを編集。
独自の楽器開発や、沖縄各地に埋もれていた民謡を編曲し、広めた。
「セイグヮー(誠小)」の愛称で親しまれ、1999年公開の
「ナビィの恋」など映画にも出演した。
琉球民謡登川流宗家、県指定無形文化財琉球歌劇保持者。
2011年に第9回宮良長包音楽賞を受賞した。1月下旬から
肝硬変のため入院していた。
Posted by 鷹ぬ鳥 at 14:01│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。