清ら三線通信Ⅱ
大阪と中津
鷹ぬ鳥
2011年08月10日 05:15
大阪堂島を歩いていると最近設置されたような新しい石碑を発見。「中津藩蔵屋敷跡」
江戸時代、各藩は大坂堂島にあった米市場で年貢米を換金した。だから、蔵屋敷は堂島の近くにあるのが普通だった。ここの米相場は藩財政を左右した。年貢米は「蔵物」として米問屋を通じて全国に流通した。
福沢諭吉は中津藩の下級武士の息子として大坂で生まれた。父はこの蔵屋敷に日勤していたわけだ。
関連記事
中津市の「陸の軍艦」=古羅漢の塔
園田(そんだ)バス停
中津駅の斜行エレベーター
豊後大野市の原尻の滝 小国町の温泉
豊後高田市の「山猫」の中華そば
耶馬溪天下の山城「長岩城趾」に登る!
断捨離でみつけた写真その2 耶馬溪、競秀峰を探索
Share to Facebook
To tweet